下手字と万年筆

投稿者: | 2016-11-06

万年筆は、高級な筆記具であるという思いがある。文具店ではシャープペンシルやボールペンのように手にとって選べるように陳列されていない。ガラスのショーケースに仰々しく並べられていて、博物館での展示物と同じ扱いになっている。
そういう、高価なものだというイメージがあるので、それを使う人も余程自分の字に自信がある人で、下手字の自分などが使うのはそもそもどうなのかとも考えていた。
少し練習などもして、以前より幾分良くなったとは思うが、それでも公にあまり字を晒す気にはならないし、文具店で万年筆の試筆を勧められても字は書かずにせいぜい線を引いてみる程度なのである。ワープロ印字が一般的になり、書くことでの手の疲れからの解放と共に汚い字を人に見せなければならない状況も一変すると期待したものだ。
昔の人は皆、字が綺麗だった。書類などを見ても整然として統一された字体で書かれている。自分の字は、大きさやバランス、並びが整っていない。性格が現れているのかもしれない。無論、自分より下手な人も少なくないとは思うが、字が綺麗だとは多分言えないレベルではある。
そんな自分が、万年筆を使っているなどというと、たいてい自分より上手な字の人は心の中でこんな字で使っているのかと笑っているに違いないと思い、あまり万年筆を好んで使っているとかそういうことも人に言わないようにしている。
ただし、実際には下手字も万年筆を使うことで助けられているようなところがあるようなのだ。
インクの濃淡がはっきりするので、日本語の文字を書く際の筆順やトメ、ハライなどの書き方や線描の太さも見えるようになる。これはボールペンのように濃淡が均一な筆記具では現せない。そういう濃淡が出るのは、毛筆などとも似ているのかもしれないし、鉛筆でもそういう表現をすることが可能だ。
筆記には、必要があってボールペンも使うが、万年筆と鉛筆を積極的に使うようにしている。気をつけるべき点を少し注意するだけで、マシな字に見えるようにもなる。むしろ、下手字の人ほど万年筆を使うべきなのかもしれない。