こういうブログの原稿は、上司が見て修正してくれるわけではないので、自分一人で書いて投稿・公開の作業をしなければならない。推敲するのも自分一人だが、実際には書いてそのまま投稿することのほうが多い。
自分はこの原稿はテキストエディタで書くことがほとんどである。一太郎で書くこともある。ブログの投稿フォームに最初から直接書くということはない。さふいふ方法にしてゐるのは、書いた原稿データを手元に殘しておきたいからで、ブログを始めた頃からだいたいずつと同じやうにしてゐる。原稿を手元に殘しておくと、後から何を書いたのか檢索して探したり、修正時にその原稿を直すようにしたりできるからなのだが、内容の檢索はブログの機能でついている檢索機能のはうが簡單で便利な場合はある。書いた物が文書データとして手元に溜まっていくのもまた充實感がある。
書く作業と同様に重要なのが推敲という過程である。前述のとおり省いてしまうことのほうが多い。書いている最中に何度かは読み返しつつ、字句を切り貼りしながら組み立てる作業を行っているので、発想から文章化までの一連のプロセスにプラスして考える作業も組み込んだということにしている。
そうであっても、本来推敲はきちんとした方が良い。推敲の基本は読み返すことであって、本来は他人の目で見てもらうのが一番なのだが、一人作業のブログ原稿の場合はそういう訳にもいかないので、幾つかの手段を組み合わせるのが良い。
基本となるのは、書いたそのものを画面上で読み返すことである。誤脱字はもちろんだが、読んでみて意味が繋がらないとか、文章自体が長さなどを修正する。もう少しPCの機能に頼るなら、誤脱字は一太郎などの文書校正機能を使うのも良い。一応の他人視点でおかしな箇所を指摘してくれる。
読み返しには、一太郎の詠太などの読み上げソフトを使う方法もある。目で見て読むのとはまた違った感覚で、文章の流れや語調の違和感などを修正する元になる。
用紙に印刷して読んでみることもやるべきである。紙が無駄になるとは思わないようにする。ワープロソフトの機能を使ってきちんと読みやすい書式にするほうが良いが、使っているWZ EDITORなど印刷の機能も優れているエディタからの出力も良い。
と言って、WZ10もプレビューの頃に印刷機能を使ったが、最近正式版になってからは一度もこういう原稿の推敲のための印刷をしたことがないので、これを書いた後に久々に印刷出力して推敲してみると、二度三度読み返したり詠太に読み上げさせたりした文章でもだいぶ直したいところがあった。画面で読むのと印刷して読むのとでは違いがある。
ところで、一太郎の文書校正機能はずっと「修太」だと思っていたが、今はそういう呼び方はしないようだ。「詠太」もいずれ音声読み上げ機能と言われるようになるのだろうか。
もう一つ、この文章の第二段落はあえて一部正字正仮名で書いてみたが、さすがに詠太では正仮名の読みや正字の音を正しく発音させることは難しいようだった。