気付けばこの先しばらくは何も考えなくても間に合うくらいにノートが増えているのであるが、それでも時々、そういうストックが増えていくので不思議だ。
A5サイズのノートがメインだが、持ち歩きの用途として手帳クラスのサイズのものも使う。
ノートの使い方は色々あって、人それぞれだと思うのだが、自分も実はこれと言った使い方が決まっているわけでもない。ただ、書くところ、とだけ考えている。
日付を書いて、あとはだいたい自由だ。
思いついたことでアイディアノートのように書くこともあるし、万年筆の書き心地を試すだけで、無意味なことを延々と何ページも書くこともある。その日遭遇した出来事で特に印象的なものや購入したものをメモ的に書き留めておくことも時々ある。他の人がやっているのを真似て、紙片を貼り付けてノートらしさが見えるページを作ってみて、ただ眺めて満足することもある。
書きためていくルールは日付を一定の書式で書くということだけなので、実は検索性も悪く、後で見返すということもほとんどない。
ノートの使い方の書籍などでは、折角書いたものを活用すべきという観点で、そのテクニックが色々と紹介されていて、そういうこともやってはみるのだが続かない。書いて、あとは放っておく。
全く見返すことがないわけでもない。思い出したときにその時期に使っていたノートを引っ張り出してきて、その頃の日付付近を調べることはある。その時に気に入って使っていた筆記具でどう書いているか、字の丁寧さや字の大きさなどが、今と違っていたりしてそういう点では面白いが、ただそれだけである。
そういうノートがどんどん貯っていくのは、それはまた楽しい。
こういう、ブログの文章など、どうしても書かなければならないわけではないものを書くのはテキストでもノートでも同じなのだから、そういう性分なのだろう。
思い出してみると、中学の頃からずっと似たようなことをしている。そういう、何でも書く用のノートがあって、それで毎日何か文章を書いたりしていた。パソコンを使うようになってからは、しばらく手書きをしない時期になったが、テキストエディタで紙のノートに相当するファイルを作って、ただそこへどんどん書き込んでいく。書いたものを見返すことは、まずないし、そんな役に立つようなことも書いていない。
今は、いつもインクを入れて使える状態にしている数本の万年筆を、しばらく使わなくなることがないように、交互にそれを使う場としてのノートである。そういうメインのノート以外でも、書くところ、書くための媒体はたくさんあるのだが、何かを生産しているというような気持ちにはならないものだ。