テキストファイル雑感

投稿者: | 2014-10-20

有用かどうかはまた別の問題として、自分はそのような文章形式のデータを作成し、ため込むことが多い。これは多分、当初ワープロ専用機を使っていた頃の作業形態からの流れだろう。ワープロ時代に作成した20年以上前の資産もまだある。
そういう文章形式のデータ資産は、後々の汎用性を考えてほとんどはテキストファイルで残してあるので今でも閲覧することもできるし、活用することもできる。
ワープロから移行した当初は、まだテキストファイルの特徴や有用性などを考えていなかったので、ひとまず全て一太郎ファイルに変換して保存していた。
ファイルサイズの大小やファイルを開く時の待ち時間、何より汎用性を考えてやがてそれら資産のほとんどはテキストファイルとして保存し直した。
当時の一太郎では開けるが、将来の一太郎で開けるかどうかということも考えた。ただし、幸い一太郎は過去の全てのバージョンの文書を問題なく開けるようサポートが継続されているので、その問題に関しては杞憂だったと言えるものの、それは今もなお一太郎を毎年購入するなどして使い続けているかどうか、更にはこの先もずっとそういう状態が継続されるかどうかという前提はある。
ともあれ、そうやって過去の資産をテキストファイル化して保存したが、それで良いのかどうかについては疑問もある。
一つは、プレーンなテキストファイルは本当にプレーンなものであって、そのテキストがどのように使われてきたか、どのような用紙サイズに何ページ分の印刷を行おうとして作成したものなのか、そういうことは一切わからない。右寄せやセンタリングなどの有無や文字色などのニュアンスもわからない。
テキストファイルは文章内容としてはそれで万能に保存できているのだけれど、文書としての保存性には欠けている。内容を保存することは最も重要ではあるが、文書としての情報だって将来重要な場合もある。
文書の機密性に関しては顕著だ。テキストファイルではパスワードを設定したり暗号化しておくということがそのままではできない。そのようなことを行うにはまた別の仕組みが必要になってきて、今度はその別の仕組みの将来性についてもどうかと検討する必要がある。
そういうことを言ったらやはりワープロ形式のものをそのまま残すか、あるいはPDFのようなものにして保存しておくしかない。
20年以上も前の当時はPDFという考え、あるいはPDFを手軽に作成するような環境も無かったが、今ではそういうことも簡単にできるので状況は異なっている。これまでと今後、更に何十年も残しておくべき価値のデータ資産が生じるかどうかというところはやはりまた別の問題として、残すための方法も再考してみなければならない。