ワープロ専用機が出てからそれが全盛の時代は、手書きから電子的な文書へと変えていく、つまり何でもかんでもワープロでやってしまえという流れがあった。家庭においても年賀状や手紙、宛名書き、ラベル作成、名刺作成、日記、メモ、行事のスピーチ類原稿や各種の定型的な用紙作成など、だいたい何でも活用するという意味で存在意義は大きかった。
しかしパソコンとインターネットが当たり前になった今はどうか。年賀状は専用のソフトがあるし、手紙や日記は電子メールやSNSに取って代わられた。宛名やラベルも用紙に付属した専用ソフトがあるし、家計簿などの集計作業も以前は表だけワープロで作成したり計算機での計算結果を入力したりしていたが、これも今は表計算ソフトや専用ソフトを使うのが主流。何でもワープロ、という考え方はだいぶ変わってきている。
小説を書くとか、家庭においても私的な会合やサークルの関係でビジネス流儀の様々な文書を作成するとか、そういう趣味や境遇の場合はひとまず別として、ごく一般家庭におけるワープロの用途は格段に少なくなってきているのではないか。
元々、ワープロは汎用的なパソコンのアプリケーションとして代表的なものであったと思うが、今は分野毎の専用ソフトとインターネットの存在によって、その存在意義が薄れてきているのではないか。
会社の仕事をデータで持ち帰って、自宅のパソコンで仕事をするということで、同じワープロソフトをインストールしていた場合もあったかもしれないが、これも今はセキュリティの関係で持ち出すことができなくなっているから、更に拍車をかけている。
自分の場合も今、何にワープロソフト一太郎を使うかと考えてみると、一般的な流れと同様に使うべき機会・頻度が少なくなってきていると感じる。専用ソフトが出てきたという関係もあるが、SNSやブログ、Evernoteなどインターネットの環境で従来ワープロが担っていた役割の一部が足りてしまうということが理由として大きい。もう一つは、テキストエディタの存在もある。原稿書き、文章書きに関しては、一太郎ではなくWZ EDITORを使うことが多いせいもある。実際この文章原稿もWZで書いている。(でも、一太郎にコピーして校正を行い、印刷して読んで確認もしている。)
ワープロの用途から、それらを差し引くと、かつてワープロ専用機で全て熟していたことの半分以下くらいしか使う場面が思い当たらない。
印刷をする文書類に関しては依然としてワープロソフトでなければならないが、テキストエディタでは足りない文章書き機能の補完、過去に作成して蓄積された文書の確認用などが主である。
毎年最新の一太郎に更新しなければならない理由は実はあまりないのであるが、ATOKは最新のを使いたいとか、そうは言っても新しい方が良いとか、プレミアムやスーパープレミアムで付属してくるコンテンツが目当てとか、そういう一太郎本体以外の理由のほうがそこは大きい。