万年筆と鉛筆

投稿者: | 2018-02-10

ATOKが新しくなったので、たまに何か書く。
特定の筆記具をよく使うようになると、こういう筆記の場面でもそれを使いたいと思うようになる。鉛筆をよく使っていた時は鉛筆、シャープペンシルならそれで、その筆記具を使うのに適した場面と適さない場面を考えてみたりする。
今は万年筆や鉛筆をよく使うので、それらがもっと他の所で使われたら良いのにと思い、昔はこれが標準的に使われていたとか、今でもこういう場では使えるのではないかと考えてみることがよくある。
ボールペンを万年筆に、シャープペンシルを鉛筆に置き換えてみたらどうなるのか。ボールペンやシャープペンシルが使えないと何が困るのか。
ボールペンは、筆圧を必要とする複写式用紙への記入はそれでなければ困ると思うが、それ以外についてはおそらく万年筆で良い。ただし、用紙とインク性質の問題はある。世の書類の用紙はボールペンを標準的ととらえているため、万年筆のインクでは滲んだり裏写りしたりする場合は考えられる。
シャープペンシルは、おそらく鉛筆では困るということがあまり考えられないが、鉛筆は芯を繰り出すように簡単にはいかず、削る器具が必要なので、それが使えないような状況では困ることがあるかも知れない。
そういうことを差し引くか、文化全体が万年筆なり鉛筆なりに適した方向に配慮されるようになるなら、筆記具は再び万年筆と鉛筆の復権も期待できるのではないか。
単純ながら、そんな想像を時々する。