まだブログなどが一般的になるずっと前、テキストエディタで、キーボードで打鍵して何か適当な文章を書いておきたくて、ただテキストファイルに駄文というか、雑記というか、あまり強い主張を持たない文章をどんどん書きためていた時期がある。
ワープロ専用機の頃もそんなことをやっていたが、遡れば紙のノートに同様のことをやっていた。前後するが今でも紙のノートには万年筆を使ってただ書くという目的だけの文章を書いて、それが何ページ溜ったかノートが何冊になったかと満足していたりする。
PCの使い始めの当初も、既にWZ EDITORを使っていたので、それを使ってテキストファイルに適当なことを書きためていた。テキストは今も残してあるので、当時どんなことを書いたかなど全て分かる。エディタの環境は、今のように濃紺色背景ではなく、少し淡いクリーム色がかった背景色に濃紺色の文字という構成であった。これが良いと思ったのは、白背景に黒文字という一般的な配色とは違った高級感のようなものだとか、そもそも青字で書くのが好きだったという点で、それをPCの環境に反映させたというのがある。
今でも青字好きの系統は残っていて、それが万年筆のインクの色、青やブルーブラックということで引き継がれているような気もする。
そういう環境のテキストエディタで、まあだいたい、この記事で書いているようなことを延々と書いていたという記憶である。特に誰に読んでもらう、公開を前提としたテキストではないので、特別推敲などもほとんどしていない。あるいは手紙文として送ったその原稿も似たような物だった。
何れも原点は紙だ。ワープロ・PC導入以前から長文的なものを書くのが好みで、ノートやレポート用紙などに最初はシャープペンシルで、その後は青や黒の油性ボールペンでそれを書いていた。それらはもうほとんど残っていないが、残っている物の一部はテキストデータに翻刻して、これも古いデータ群として保管してある。
書いた物は残すのが通例である。テキストで残す限り、今はどんなに増えても保存媒体の容量を圧迫するようなことにはならず、データ容量はたかが知れている。後から利用することがあるかも知れないから、基本的に作った物は絶対に捨てるなと何かの書籍で読んだ。そういう古い文章を引用してくることなどは実際はないが、書いたその時期にどんなことをどう考えていたのか、何に傾倒していたのかということがわかって、それはそういう資料として何かの役にも立つものなのである。
PCの環境は無論当初から変わっているが、テキストエディタとしてはだいたいWZ EDITORで、一時期秀丸の頃もあった。Versionは変わっているので、それも環境が変わったと言えばそうなる。インターフェースとしてのキーボードは、当初はPC-98のフルキーボード、もっと前はワープロ専用機のキーボード、PC後はFMVのフルキーボード、ノートPCのパンタグラフのキーボードから、HHKBや茶軸黒軸のキーボード、現在ではRealforceと変わってきている。