国語辞典の役割

投稿者: | 2015-11-15

国語辞典は学習だけではなく仕事にも日常生活にも必要だと思うのだが、だからといってどこにでもあるとも限らない。
学生でなければ、学生時代に使ったものがそのまま、どこかに、あるいは本棚にあるという人が多いか、今ならWebで検索するから要らないし持ってないという人も多いとは思う。電子辞書の中に何か入っていたという人もいるし、ちゃんとしたものではないかもしれないが、それっぽい何かそのようなものがどこかにあるという人もいるかもしれない。
それはそれで良いのだが、やはり最新の国語辞典は手元にあったほうが何かと良いと思っている。
そういう自分も一時はそういう状態であって、学生時代に使っていた国語辞典をずっと温存して結構長く使い続けていたりしたが、常用漢字の改訂などに伴って、最新に適合していないと何か使いづらいこともあったり、版が違うと内容が改訂されるということを知ってから最新版を購入するようになり、今では数種類の小型国語辞典を持って、小さなコレクションみたいになっている。
会社のデスクの他、自宅のパソコンのそばとか書き物をするテーブルの上、寝室の枕元などにそれぞれ別の辞書を通常置いてあって、基本的には、初めて聞いたような語だとか、解釈が曖昧な語があるたびにそれら国語辞典を開く。これが最も基本的な国語辞典の用法だろうと思う。
用字に不安がある語も国語辞典で調べることが多い。国語辞典には日常生活での実用上支障がない段階での漢字辞典的な要素もあるので、漢字がわからない時も同音異義語の使い分けもこれで調べられる。見出し語の部分だと漢字も文字が小さいので、判別に苦労することもあるが、漢字が見出しとして少し大きく書かれているものもあるので、そういう国語辞典だと更に支障が無い。
古語はあまり掲載されていないが、古文を読むのは学習的な用途という場合だろうと思うので、そういう場合のためには古語辞典は別にあっても良いのだろうと思う。物により違うが巻末には付録として、動詞や形容詞の活用表や部種別の漢字、常用漢字や人名漢字の一覧、送り仮名の付け方など国語に関する規範や難読漢字熟語、カタカナ語の辞書などがついているのも、時々役に立つ。
つまり、近現代の国語に関することの知識・疑問は、小型の国語辞典があればたいてい、ほとんど全てが解決する。
我々は普通に日本語を使いこなしているし、一々国語辞典で調べなくても相手に自分の意思や考えを文章にして伝えることができる。最近、ブログやSNSなどで使う日本語は、いわゆる正しい日本語であることが絶対的に求められない場面が多くなってきているが、それでも基本になるのはいわゆる正しい日本語であるので、その規範を調べるためには手元に国語辞典が一冊くらいあっても良いのではないかと思う。
電子辞書やWebの辞書もあって、それらは検索が高速にできるのが特徴の一つ。ただ、1分1秒を争って語釈を調べなければならないほど忙しくない場合、紙の辞典で目的の語を探す時間を費やしたとしてもまず何にも影響はない。むしろ、紙の辞典は目的の語以外の語にも目が行くので、派生して別の語を調べてそれで一つ知識が増えたら、費やした時間の分、得すると考えることも出来る。
いや、そういう考えからというわけでもないのだが自分は今のところ紙の辞典のほうを優先して使うタイプである。
会社や書き物をする場合の手元には現代の日本語に強い三省堂国語辞典を、PCのそばには古風でいかにも国語的と感じる岩波国語辞典、枕元にはたまに読み物として見ても面白いと言われる新明解国語辞典、同様の理由でたまに百科事典的に開いてみる用として集英社国語辞典を居間に置いてある。
ただ、小型の国語辞典でも小型版のサイズになると、あのくらいの文字の大きさが最近少しつらい。