ノートカバーは必要か

投稿者: | 2016-07-18

 文具趣味の人のニーズがそうなってきているからなのか、メーカーや関連業界がそれに乗じて商売にしたいからなのか、ノートやメモ帳などの規格に合わせたカバー類という分野も様々な製品が出てきている。
 カバーの目的は、本体を保護するというのが第一で、それに栞やペンホルダーなどの機能付加や皮革とすることでの高級感や手触り感などを加え、中身が変わっても愛着が持てるようにするということがあるのだろうと思う。モノによっては、カバーを付けた方が、そのとおり、使いやすくなって利便性が高まるし、それを使うモチベーションも上がるというものである。
 自分の場合はRHODIAに革製のカバーを付けて使うようになったことで、180円くらいの製品が一気に高級な筆記媒体となった感じがある。ただし、弊害としてサイズが増加して持ち歩きにくくなってしまったことや勿体ないという感覚が増えて使いづらく感じることもある。
 少し前には能率手帳エクセルのサイズの普段使い手帳に別の市販製品のカバーを付けていたことがある。綴じ手帳にはない高級感は増して、満足度は増えたものの、サイズが大きくなったことで手帳の利点である携帯性に問題が生じてしまった。
 ではノートの場合はどうなのか。A5のノートカバー、KINGJIMのレザフェスをノートに付けてみている。確かに普通のノートとは違う、高級感のようなものは得られる。手触りも良くて満足感がある。だがその一方で、厚みが増えて扱いづらくなったと感じることもあるし、表紙付近のページではカバーの素材が邪魔をして凹凸が生じ、書きづらくなったというところもある。自宅で使うA5ノートは自宅のみで使うので持ち歩くこともないが、会社でのリングノートなどの場合は厚みが邪魔にならないとも言えない。つまりは、その点さえクリアできる(気にしないでいられる)なら問題はなさそうである。
 ところが、ノートがMOLESKINEの場合となると事情が違ってくる。MOLESKINEもそれに合わせたカバーが各種発売されているが、MOLESKINEはそれ単体で機能がまとめられているのでカバーを付けると逆に幾つかの問題が生じるのではないかと思い、カバーは使わないでいる。
 MOLESKINEはペンホルダーは本体機能としてはないので、そういう機能付加という点は良いと。だがノートを綴じて押さえるゴムバンドが付いている。これはカバーを付けたときにどうするのか。カバーの厚み分もこのゴムバンドで綴じるような仕組みの場合、ゴムの負担になるのではないか。
 自分としての何より問題は、カバーを付けることによって、それがMOLESKINEなのか何なのか見てわからなくなることである。MOLESKINEなどのブランドのものは使っていることを誇示するということも満足感の一つであると思うので、カバーでそれを遮ってしまうということだとMOLESKINEを使う意義が半減してしまうのではないか。
 要は、カバーの類は全て利点ばかりではないということで、本体のみで使って別の手段で機能を付加することを考えた方が良い場合もあるということである。
 カバーではなく、それの入れ物、ケースやバッグを使う方向で考えてみると、MOLESKINEでも何でもまた違った楽しみが出てくる。A5のノートを収納できるサイズのバッグでは、その別のポケットに筆記具を収納したり他の用紙や手帳を収納したりするようなスペース、ポケットが付いていたりして、そういうやり方のほうがまた満足感をえらえ得られる場合もある。