文章を書くときはテキストエディタだ。自宅ではWZ EDITORを使っている。
ワープロなら一太郎も使う。WZは自分の使いやすいようにカスタマイズをしてあるし、一太郎もドラフトモードで可能な限りの環境カスタマイズをしてるので、どちらもそれなりに書きやすい。選択はそのときの気分次第であるが、エディタを使う方がやはり多い。
ブログの原稿ならたいていエディタで書いて、それをフォームに貼り付ける。エディタで書いて一太郎に移して文章の校正などを施してからフォームに貼り付けることもある。一太郎からのコピーは、WZのようにキーカスタマイズをされた操作ではないので、やり慣れたWZと違って少しもどかしい。
ここに記事、エントリーを書くのも久々になってしまった。つまり、毎日パソコンは起動してWebや動画の閲覧に使っているものの、長文を書くことがほとんど無かったためにキーボードを操作する感覚が鈍ってしまっているのに気付いた。
具体的にはミスタイプが多いのと、変換が思うようにスムーズに出来ないことである。ミスタイプはともかく、変換が円滑でないのは、ATOKのせいもある。文脈に即した候補を提示してくれないことが多くあってだいぶ苛々した。
普段ならそういうこともなくスムーズなのに、何故なのだろうかと考えてみると、幾つかの理由が思い当たった。
一つ目は、それが用紙に書かれた原稿を入力する作業であって、画面を見ながら文章を入力するスタイルとは違っていたことがある。通常は、直接文章を入力する時は画面だけを見て変換が正しいかを常に確認しながら進めるが、原稿入力の場合は原稿と画面と交互に見ながらの作業になり、原稿どおりに変換しなければならないので、ATOKによる変換の癖と異なっている。
二つ目は、長文の文章というのではなく、単語の羅列や記号の入力などもある原稿であったことで、これは適宜キーボードを見ながら記号を探して入力しなければならないため、入力のリズムがストップされてしまうことである。一太郎による閉じ括弧の自動入力などのせいもあるかもしれない。
三つ目は打鍵の問題で、これだけ頻繁に、長期間使っているRealforceであるのに、何故かミスタイプが増えつつある。これを入力している今もなのだが、入力する姿勢だとか、キーのストロークの深さだとか、そういうものが少し自分の感覚との相違が生じているのかも知れない。会社の普通のノートパソコンの、浅いストロークのキーボードに慣れてしまったのかもしれないとも思う。
そういう感覚を取り戻すためには、このキーボードを使ってある程度の文章の入力作業を行う必要があるのだろうと思う。Twitterなどは短文だし入力環境がツイートのフォームなので効果は限定的。なかなか長文を入力する機会がなく、せいぜいこういうブログの文章程度なのである。