用紙が百枚、二百ページのノートのことを勝手に「百枚ノート」と呼ぶことにする。
正確に百枚でなくても、九十枚でも良い。八十枚となるとだいぶ少なくなって百枚と呼ぶことに抵抗もあるが、趣旨は同じであるので仲間に入れても良い。
そういう百枚ノートを、自分は好んで使っている。厚みがあり、ボリュームもたっぷりあって、書いても使ってもなかなか使い切れない。何かを貼り付けたり、大きな文字書いたりして日に何ページも使い進めてようやく最後のページに到達する。そういうノートだ。これが楽しい。
何も書いていない空のページがたくさんあるのが、この先、これから何に使おうと想像が膨らみ、余裕があるのは心にもゆとりができるような気がして安心する。具体的な目的もないのに便箋などの用紙を集めてしまうのも、使い始める前からでも予備の消耗品を買い溜めしてしまう性格も、きっとこの感覚が影響しているのだと思う。
そんな百枚ノートを初めて使ったのはもう二十年以上も前で、コクヨのB5サイズのCampusノートだった。普通のCampusノートとは違う風格に惹かれて、それを何に使うのかという目的は考えずに買った。結局様々な用途に使いながら、それなりに長い時間をかけて使い終えた。使い終えた頃には最初のほうのページに何を書いていたのか忘れているので、戻って開いてみるのも面白い。
十年くらい前にはMOLESKINEを知った。これは正確には九十六枚ノートだ。Pocketのサイズのもので、手帳型の小さいものであったこともあり、使うことに集中していた時期ではあまり時間・日数を費やさずに使い切って何冊かを一気に使った。使い終えたMOLESKINEをコレクションしておいて、後になってまた開いてそのときに何を書いたのかと読み返すのもまた楽しい。
最近ではそれが、A5サイズのものが自分の使い方に合っていると思い、ツバメノートやCDノート、LIFEのノーブルノートなどを集めている。たくさんあっても使うのは一冊であるし、MOLESKINE Pocketより書く領域は大きいので、構えて使わないとなかなか使い切れない。自宅の机に置いておき、なるべく毎日とにかく何かを書くようにししている。何でも良いから何かを書くのである。時々何かを貼り付けたり、ブログの下書き、アイディアの整理、新たに購入した筆記具の試筆と感想、単なる落書きなど、制約を設けずに使うようにして、終わりのページを目指す。残りが少なくなり到達すると満足感を得ることができるわけだが、次にどれを使おうかという期待と共に、またストックを増やすことを考える繰り返しである。