ATOKに想う

投稿者: | 2019-02-10

正しい国語文法と国語表記とは何なのか。IMEの変換エンジンは学校で習う文法が基本的に正しい変換という理念のようなものがあって、それから違うことにならないようにかな漢字変換を行っていくのが最上の理想であるように思う。学術的にも文法だけを取っても学校で教えられる文法だけが正しいというわけではないので、自由な表現には一応対応はしているものの、我が国の文化や民意を意識しながらある程度恣意的になるのは仕方がない。その一端が「言葉狩り」と言われる変換語の自主規制であるのは言うまでもない。
そういう一定の理念が入り込むと、書き手の意思が活かされずに画一的な文章になる傾向はあるかもしれない。誰が読んでもわかりやすい国語になるかもしれないが、特徴や雰囲気、匂いが出ないということでもある。
PCを使うようになって以来かなり経つが、自分は全て和文入力はATOKである。他のIMEも使うこともあるが、可能な限りは全てATOKである。
古くMS-DOSの時代、IMEはFEPと言われていて、ワープロソフト毎に使い分けるのも普通だった。一太郎と並んで有名だった松には松茸というFEPがあったが、そういう他にも優秀なかな漢字変換の仕組みは既に廃れてしまって、ATOKだけが残っている。歴史のあるかな漢字変換の仕組みであるのに、人はあえて選ぼうとせずにOSに組み込まれたものを標準として間に合わせている。
だいたい、かな漢字変換への拘りを持つ人が少ない。ローマ字入力で普通に入力・変換ができれば基本的にはそれでいいので、IMEは何でも良いのである。
自分も含めてIMEはMSよりATOKでないと、という人も少なくないが性能が数値で比較できるようなものでもないので、誤変換が多いか少ないかという感覚的なものとATOKのほうが優れているという先入観で選ばれている場合もあると思っている。