AOURで15年

投稿者: | 2021-12-24
typing

AOURを使うようになってから、まもなく15年が経とうとしている。本当にもうそんなに経つのかという驚きがあるが、どう計算しても15年になる。
お蔭様でと言うべきか、AOURはずっと使うことができている。実際に使っている。それだけ使っているので、もう習得がどうとかいう段階ではない。ほぼ毎日AOURで入力をしているので、自分にとっての和文入力はもうこれしかなく、ローマ字入力には戻れないと言って良い。ローマ字入力もできなくなったわけではないが、入力速度は圧倒的にAOURのほうが速い。

少し前に簡易な測定をしたところ、AOURで10分1,300字程度の和文入力速度であった。もっときちんと真剣にやればもう少し速いかもしれないが、それでもこのくらいの速度があれば実用上問題ないどころか、一応速く打鍵できる人の部類になんとか入れてもらえそうなレベルである。ローマ字入力の時はもっと速かったかどうかは覚えていないのだが、既に今はローマ字入力よりは速いことは疑いないので、当初の目的は達していると言える。拡張入力定義により打鍵数もローマ字よりかなり少なく、よって長文入力作業による疲労度も少ない。

かつてのローマ字入力でブラインドタッチを独習したときの、増田忠氏の教法を少し思い出しながら、AOURを習得し練習するときの順序を「練習帳」という形でPDF公開もしているが、実際自分はそんな理路整然とした順序で習得したかというと、全くそんなことはない。
母音の位置を覚えて、子音の位置を覚えて、序でに拡張入力も覚えながら、その組み合わせを使ってあとは実践で入力速度を養っていく力業であった。一通りキーの定義を覚えて、キーボードがない時にはエアキーボードで五十音を全て打鍵してみたりしつつ、定義の基本自体は1日2日で覚えて、あとは指の動きが定着してくるまでひたすら我慢である。

最初の頃は、もちろんローマ字入力のほうが速く、AOURではもどかしい感じであったが、やがてAOURで入力が自然にできるようになってくると、今度はローマ字入力との混同も生じたり、ローマ字入力も速度が低下してくるようになった。すなわち、従来のローマ字入力でも新しいAOURでも入力効率が低い状態がしばらく続いた。
入力効率がローマ字入力より低下しても、実用上問題ない速度で打鍵できることになった時が完全な移行の時期であると考え、以来ずっとAOURである。ローマ字入力のカスタマイズ設定なのでいつでも元に戻せるし、QWERTYの配列は引き続きアルファベット入力では使うので、ローマ字入力も忘れて使えなくなるということはない。
気付かぬうちに入力速度と入力効率はAOURのほうが上になってきたのは、それなりに時間がかかり、数ヶ月、半年以上経過してからであったようだ。

完全に習得してしまってからそれ以降、現在までの問題は特にない。
小さなこととしては、ローマ字入力ベースで作られているタイピングゲーム類ができないとか、他人にPCを安易に使わせられないとか、PC乗り換え時などに設定変更が生じるなどの、僅かな注意が必要であるくらいだ。
AOURは、基本的にはATOKで実装するが、Google日本語入力でも同様に使える。MS-IMEの場合はカスタマイズ可能な定義数が足りないこともあってDvorakJを介する必要がある。今後の問題は、そういうATOKやGoogle日本語入力が使えない環境を強いられる可能性があるということである。標準化だとか効率化だとか、改革だとかのスローガンを掲げて、一太郎と共にATOKを排除しようとする輩が居ることである。
自宅PCはAOURが使えるとしても、会社などではローマ字入力しか認められない場合、二つの入力方式の併用は、初期に混同して効率が低下したのと同様のことが生じて、実に良くない。

キーボードによる和文入力は、ローマ字入力方式の人が約9割、残り約1割がJISかな入力と言われていて、それ以外の方式はほとんど数字にも出現しないくらいである。ほとんどの人はこれらの何れかの方式で習得して、おそらく一生その方式を変更することはない。変更には速度と入力効率低下の時期があるので、実用上の支障になると考えられがちだ。元に戻す方法を確保しつつ、切り替えられる時点を待てば良いとも思うのだが、そんな余裕のある人はほとんどいない。
切り替えてしまった後で、ユーザ数の少なさによる方式の維持に不安があるので、やはりそれも切り替えようとする意思を阻んでしまっている。

AOURが最良の方式というわけではないが、ローマ字入力やかな入力よりも習得しやすくかつ高速に打鍵ができて効率も良い方式はいくらでもある。本当はキーボード習得の段階からそういう方式を学ぶべきで、最初の段階からもっと自由に選べても良いと思うのだが、ローマ字入力が使えないと社会では通用しない世の中である。