自分がパソコンを使うようになって約20年。すなわち、ワープロ専用機を使わなくなってからそれだけの時間が経ったという事になる。
当初は文書作成、ワープロ専用機の高度化くらいにしか考えていなかったところもあるが、今はインターネットでの使用が中心になって、文書作成という目的はかなりパソコンの使い方の中でもウェイトが低くなってきている。
だからこそ、とでも言うべきか、ワープロとかワープロ専用機とか、あるいはワードプロセッサとか、そういう響きとその環境が懐かしい。
無論、今も仕事でも自宅でもワープロソフトは使う。一太郎もWordも使う。そういう高度化した文書作成環境はそれはそれでこの上なく重宝しているからこそ、まだ様々な事に限界があった昔のワープロ専用機の環境も懐かしく思うのである。
一つ例を挙げるなら画面のシンプルさである。限られた画面の広さの中に、必要な情報がだいたい全て凝縮されて表示されていた、あの画面である。今のワープロのような用紙そのもののイメージではない。あくまで入力画面であって、文字修飾の状態なんかも印刷されるとおりには表示されず、変な記号が表示されたりする、あの画面である。
一太郎では、今でもドラフト編集モードというのがあり、当時のワープロ専用機の画面にも近い、文字修飾などの状況を省略してシンプルな画面で入力編集が行える環境が用意されている。
懐かしさというのもあるが、そのほうが文章を書いたり文字原稿を入力したりするのに集中できるので、好んでその環境のモードにして使っている。そういう環境で入力しつつ、印刷時の仕上がりを想像するのが、かつてのワープロ専用機の作業にそっくりである。
さらに究極的には、テキストエディタという環境もある。これは、ワープロ専用機以上にシンプルな画面で、本当に文字入力の画面部分しかない。いや、テキストエディタはカスタマイズによりイメージが変わるが、自分はメニューバーを表示させ、本文領域には行番号、行間罫線表示、下にステータスバーを表示させるくらいで、ツールバーやサイドバー的な操作部分は表示させないのが好みでそうしているので、進化したワープロ専用機の画面、というようなレベルの見栄えになっているかも知れない。
無論、エディタで扱うテキストファイルでは、文字修飾などは一切出来無い状態のものであるから、印刷を前提とした文書作成のためには結局ワープロソフトに貼り付ける必要があるので、最初から一太郎のそのドラフト編集モードで作成する事もある。
20年という単位で言うと、テキストエディタについても使い始めて約20年になるわけで、ワープロ専用機以上に画面のシンプルさは全く変わっていない。今もなお同じ画面で使い続けられるこのテキストエディタのシンプルさも、専用機同様に懐かしい最新であると言えるのである。