かつて、ワープロソフトは起動も動作も重く、作成するファイルはバイナリで汎用性が低いので、文章書きはテキストエディタでテキストファイルにするほうが良いと言われていた。自分もそういうことがきっかけでエディタ派になったが、そう言われていた昔とは様相が少し異なってきているのではないかと感じる。
たとえば、ワープロで作成したファイルはそのワープロでなければ読めないとされてきたが、Wordがすっかり一般的になったせいで、OpenOfficeやその他互換性のあるワープロソフトが増え、Word形式のファイルなら多くのソフトで読み込んだり編集が出来るようになっている。そのワープロソフトが作られなくなったらもうそのファイルは開けないとも言われたが、Wordほど一般的になれば仮にWordが無くなっても開けなくなることはなさそうである。一太郎に関してもWord以上で、さすがに一太郎ファイルを開けるのは一太郎だけだが、相当昔の一太郎ファイルも開くことはできていて、読めないファイルはない。すなわち、一般的なワープロソフトで作成したファイルは、ある日突然使えなくなるということは、まずない。
ワープロは、起動も動作も遅くて作業に支障を来すとも言われていたが、今のPC環境では決してワープロソフトは重たいものではない。テキストエディタに比べたら、大きなファイルになれば少しは遅くなるかもしれないが、特別な長文でも無い限り作業支障を来すようなことは考えられない。
バイナリファイルはサイズが大きくなるので保存するディスクの容量を圧迫するとも言われていたが、今は使い切れないほどの大容量のストレージが使えるのでそもそも問題にならないし、圧縮保存する形式も一般的になってきたので、長大なテキストと比較するとむしろバイナリのほうがサイズが小さいことだってある。
文字装飾やその他の機能が邪魔になって、ワープロでは作業に集中できないとも言われたが、これはエディタでも機能が豊富なのは同様であって、作業をする人の資質の問題である。一太郎のドラフト編集やエディタフェーズならそういう書式をほとんど気にせずに文章入力に集中することが可能である。
検索機能に関しても、エディタが強力なのは間違いないが、ワープロでも最近の版は正規表現が使えたり呼び名は違うがGREPのような多ファイル同時検索ができるようになってきている。特別複雑な検索を求めない限りはこれでも十分であるし、逆に、高度な文章校正機能などはエディタには装備されていないし、そもそも和文・日本語の文章書きを主目的としたエディタは多くない。
つまり、ワープロも元々和文・日本語文章を書くためのソフトであるので、文章書きに不便ということはないのである。
ただし、文字列毎の色分けができないワープロは、HTMLやソースコード編集などを行うには不向きで、そういう文書・テキストはやはりエディタの分野である。ワープロは印刷する用紙を基準に書式設定をするので、画面右端での表示折り返しは簡単にはできない。縦書きの場合は1行の文字数の関係で縦方向に各行スクロールしなければならないなど不便な場合もある。
ワープロとエディタと、使い分けるのが一番ということに変わりはないが、文章書きにワープロだからダメだとか初心者だとかいうようなことはないのである。