本日の雑記。秀丸エディタをたまに使うという点と、プリンタによる文字出力に関する懐かしさのようなもの。……のつもりで書いていたら日が経って色々書くべきことが増えてきた。
秀丸エディタ
普段、原稿書きにはWZ EDITORを使っているが、これまでずっと常にWZを使っていたというわけではなく、秀丸を使っていた時期もある。秀丸エディタは言わずと知れたWindowsの老舗テキストエディタである。WZを知る前に、既に有名だった秀丸を知った。ようやくPCを使い始めた頃だったが、これがテキストエディタというものかと、その機能の豊富さに驚いたものだった。
今でも時々、WZから気分を変えたい時などに起動して、これで原稿を書いてみたりしている。WZも秀丸も高機能エディタとしてカスタマイズ性は高く、どちらもほぼ同じ操作環境に設定しているので、どちらのテキストエディタで文章書きをしても違和感がほとんどなく、どちらも快適である。
軽快さでは、WZより秀丸の方がそれを感じるが、WZが遅いというようなことでもない。
今の時代、WZも秀丸も使っている人は古い考えの人と思われがちであるようだ。若い人などはクロスプラットフォームのAtomとか、そういうテキストエディタを使うのだろう。コーディング作業ならそれで良いとしても、原稿書きにはやはり古くからある老舗エディタでなければ、和文との親和性に疑問がある。
自分がエディタを使ってする作業はコーディングと言ってもたまにHTMLを書くくらいで、作業の中心は原稿書きだから、そういう老舗エディタを使っていくほうが合理的なのである。
これを書いている時点での最新版は8.99.4で、数日前に8.99.2だったのがいつの間にかアップデートされていた。秀丸エディタは64bit版もあるのだが、なぜか64bit環境であっても通常は32bit版を使うように推奨されている。なので自分も一時期64bit版だったが、今は推奨どおり32bit版である。
プリンタ
自分が書いた物が、活字だったり、PCの画面上だったり、手書き以外のきちんとした文字で表示されるのは、なんだか嬉しいことである。これは、子供の頃からそう思っていて、その時代はワープロなどのない時代で、自分の書いた物を簡単に印刷文字に置き換えることができなかったから、そういう文字出力への思いがあるのだ。
自分の作文などが学校だよりのようなものに掲載された時はこの上なく嬉しかったものである。そういう原体験のようなものが、誰が読んでいるともわからないくらいのこんなブログを書いて公開するということにつながっているのは、多分間違いない。
いまはそういう、ブログという、あるいはTwitter、Webサイトなどオンライン上での出版の機会はあるが、インターネットが一般的でなかった頃は、PCを使っていたとしても専らその公開方法は印刷物であって、その印刷物を出力できるのがプリンタであったはずだ。
PC以前に使っていたワープロ専用機のサーマルプリンタで、感熱紙を使ってよく書いた物を出力して、それが印刷文字化するのを楽しんでいた。PCになってすぐの頃はプリンタの環境もあったが、PC内部のデータとして保存しておくくらいでも満足できるようになったので、印刷の機会は減少した。
今でもその印刷の機会は減少したまま、あるいは少し元に戻った感もあるが、今では自宅以外、会社の仕事では毎日のように自分の書いた物を用紙に出力することになったので、そういう自分の書いた物が出力文字になること自体の感動はほとんど薄れてきている。
だが会社で作成するビジネス的な文書ではなく、自分で好きなように書いたものが文字として出力されるのは、少し違った感覚かもしれない。