雑記3月B(5月)

投稿者: | 2024-05-12

Windowsのメモ帳

Windowsに標準アプリケーションとして最初から付属しているメモ帳は、一応テキストエディタに分類される。Windows環境には必ずこれがあって、テキストの閲覧や編集は基本的にこれでするように関連付けられているので、その後別のテキストエディタをインストールして使わない限りはテキストファイルのためのアプリケーションはこれ一択になる。テキストファイルのことを指してメモ帳と呼ぶ人もいるくらいである。

メモ帳は、Windowsの進化と共に機能は少しずつ付加されてきているものの、それでもまだテキストエディタというには貧弱で、閲覧のほかは簡易な編集作業程度にしか使えない。
ただ、それでもメモ帳を使って小説等の原稿や文章書きをしている人も少なくないようだ。そのシンプルさが良い、作業を妨げないという。それもわからないでもない。特にWindows 11のメモ帳はダークモードやタブインターフェースにも対応し、単純な文章書き程度なら何も考えずに使えるようにもなってきている。行末禁則処理もしてくれるようになっているし、保存せずに閉じても作業中のテキストを維持してくれる。

アプリケーションが軽い分、動作も高速・軽快で、他のエディタを使っていても一時的なテキストスタックの場として活用するのも全く悪くない使い方である。HTMLの編集やその他言語のコーディングなどでは色分けができないので見づらい面もあると思うが、文章書きで使うなら、こういう選択もあって良いのではないかと思われる。

和文入力環境など

今、当たり前に使っているかな漢字変換は、40年以上前の東芝ワープロに始まり、PC環境ではATOK/一太郎が最初らしい。自分はまだワープロ専用機の頃からそのかな漢字変換の仕組みに触れ、もちろん今でもATOKで和文入力に使っている。
以前は機械的な文字入力はタイプライターのように一つ一つ文字を探して入力しているのかと思っていたが、読みのかなを文節単位で入力して、それに相当する表記を選ぶという方式は、何も知らない自分としても合理的かつ画期的なことだと思った。
かな漢字変換は、具体的にPCにおいてはIMEのことでもあって、自分はPCへの移行以来ATOKをずっと使っている。Google日本語入力、MS-IMEもあるが、主で使うのはやはりATOKである。

かな漢字変換の仕組みでは、変換に用いる辞書が重要である。当時のワープロ専用機は辞書領域も限られていて、標準辞書も登録されている語はそんなに多くなかったので、ユーザ辞書をどのように作って組み合わせるかはそれなりに課題でもあった。だがそういう容量の制限のないPCのかな漢字変換では、標準辞書も充実し、ユーザ辞書にも登録語数の制限はなく、品詞も指定できるなど、大幅に強力な機能が備わっていた。
さらに今はAIによる変換補助、推測変換やWebから引用してくる語なども組み合わさり、標準辞書だけでほとんどの変換ができてしまうので、ユーザ辞書の重要性は以前ほどではなくなってきている。

かな漢字変換の仕組みと辞書運用が確立したところで、入力環境をもっと良くするために関わってくるのがキーボードとその入力方式である。
キーボードは、当初PCに付属している標準の、純正のキーボード、ノートPCであれば本体キーボード一つしか選択肢がないと思っていたが、ノートPCでもUSB接続で任意のものが使えると知り、メカニカルなど様々試した結果、結局は国産静電容量無接点のRealforceやHHKBが一番良いと思っている。
ただ配列は、国内標準のJIS配列ではなく、US配列にしたほうがブラインドタッチでの打鍵には有利であるので、その頃からUS配列を使うようになった。

ブラインドタッチは、当初できたら格好いいという野望にだけ基づいて、まだワープロ専用機の頃に独習で出来るようになった。数字や記号など怪しい面はあるものの、アルファベットとローマ字入力の打鍵はもう既に自然に手が動くようになって久しい。
ブラインドタッチはキーボードの打鍵では必須のスキルであると思うので、どのような方法でも習得しておくべきである。

さらに、ローマ字入力より効率の良い方式として、元々しばらくAZIKを使っていた。二重母音や撥音節の拡張入力が快適だった。ATOK用の定義ファイルがあって、普段使い慣れたATOKで簡単に実装できるのも魅力だった。
その後、Dvorak配列をベースにしたACTがあるのを知った。Dvorak配列ベースのほうが母音が左手ホームに集中している配置で、拡張入力も整理しやすく理想的だと思ったが、これをそのままATOKの定義ファイル追加で実装する方法は見当たらなかった。
Dvorak配列とACTの定義をATOKのカスタマイズの制限に則り一部変更して実装できないかと考えてみたのがAOURの始まりである。

アルファベット入力はQWERTY標準のままで良い。和文入力、IMEオンの時だけDvorak配列ベースになれば良い。ATOKの制限で句読点の位置はQWERTYのままとし、そこに関連するキーの配置を入れ替えたりして、さらに二重母音や撥音節、拗音の入力方法、省入力の方法なども考え、定義ファイルを作った。
その後、Google日本語入力用の定義も作成するなど、他の環境でも実装する方法を備えた。

思えばこのような入力方式は、ずっと以前に知ったSKY配列に端を発するものだった。SKY配列には興味を持ったが、それを使えるようにする手段がなく、ずっと普通のローマ字入力を使っていた。
AOURに切り替えて習得するのに少し時間は要したが、使えるようになると打鍵速度も向上し、ローマ字入力よりずっと快適になった。

PCにおいての入力環境では、どのようなアプリケーションを使うかということも重要である。ワープロ専用機からの流れで、PC移行当初は一太郎を使いつつ、その時に既にテキストエディタという選択もあると知っていたので、様々なものを試しつつ、WZ EDITORを使うことにした。

Ver.1の頃から使い始めて、2、4、5、8、9、10と使ってきている。途中抜けている3は、仕様が大きく変わったらしいことで乗り換えずにそのまま2を使い続け、6、7はビレッジセンターが解散してしまって、その後の先行きに不安があったのでしばらく使わなかった。その頃は代わりに秀丸を使っていた。
WZとの出会いはそのVer.1の頃であって、店頭でパッケージを見かけて、そのデザインも和風で美しく、和文書きに適していそうな感じがあり、市販のテキストエディタということでオンラインソフトのそれよりずっと高機能なのだろうと期待して購入した。

期待に添う性能は備えていた。それで気に入って、エディタとはこういうものだと使い続け、縦書きにも対応したVer.2も購入して使い込んだ。マクロは難しくて使えないが、その後しばらくしてVer.4の頃にWZ-XHTMLというほぼ公式のマクロを組み込んで、WebサイトのHTMLやMovable Typeのテンプレート編集などに、Ver.5に至ってもだいぶまた使い込んだ。
WZの仕様はかなり、独特である。Ver Upで、まるっきり変わることもある。Windowsのアプリケーションの体系とは異なった仕様である部分も多い。
再びパッケージで購入したのがWZ 8になってからで、だいぶまた結局仕様は変わっていたが、何とか使いこなすことができるようになっている。
現行のVer.10がリリースされたのは今から5年前だが、これの環境になってからはかなり安定的に使えている。

また一方でエディタがあればそれで完結というものでもなく、ワープロソフトも文書作成には必要であった。一太郎をしばらく使い、Ver.7付近で32ビットWindowsへの対応が遅れた機にWordに一度乗り換え、更にOpenOffice.orgなどを使うようになったものの、それでも文書作成にはちゃんとしたワープロソフトが必要と思い、和文入力に関して着実に文化に合うよう進化してきていた一太郎を再び使うようになった。今は毎年のバージョンアップで、ATOKと共に最新を使うようにしていて、これが最新最強の和文作成環境なのだと思うことで、満足している。

やはりサクラか

先日サクラエディタから乗り換えるようにMeryにしてみたところなのであるが、使い慣れたサクラエディタはやはり捨てがたい。Meryに何か不満があるかというと、起動が少し重いという点程度で我慢できない部分があるわけではない。
サクラエディタは縦書きはできないし、フォント表示のDirect何とか表示もできないが、高機能エディタという分類であるので、Meryより少し細かい設定は様々可能である。
普通の文章書き程度の編集は、あえて別のエディタに今乗り換えなくても、サクラエディタで十分なのではないかと思えてきた。

フォントがDirectXなどに対応していない表示になるが、標準的なMSゴを使うことで特に問題があるわけではない。縦書きはできないが、それが必要になることはその場面においてはほぼない。HTMLの編集においても、EmmetというかZenCodingはマクロで補える。
動作は感覚的にMeryより早いという感じもあって、やはりサクラエディタを使うということで十分というか、このほうが良いのではないかと思えてきた。

外部メディア

ワープロ専用機では、2DDのフロッピーディスクがそのデータの記録媒体だった。容量もそんなに大きな物ではなかったので、沢山のメディアにそれぞれのデータを保存して、それを溜め込むのも実は楽しかった。この大きさしかないこれに、このデータが保存されているのだと思うと、ただ不思議な感じもあり、そのデータを今完全に手にしているという感じがあって、満悦感もあった。
そんな、外部メディア感あるいは媒体感とでも言うべき感覚はもっとずっと前からあって、元を辿れば音声データを自分で取り込んで入れることの出来るカセットテープが、自分の場合のその起源になっていると思う。同様の感覚で、VHSのビデオテープにおいてもそうだった。

PCを使うようになってからも、PC本体以外に、手に取れる形でデータを外部メディアに取り出す、手にする、保管するというのは引き続き外部メディア感・媒体感であって、当初は2HDのフロッピーディスクがそれに相当した。ワープロ専用機の2DDに比較すると容量は倍ほどに増えたが、それでもそんなに大容量というわけではない。
やがてデジカメを使うようになり、スマートメディアやメモリースティック、CFカード辺りも手にした。後からSDカード、MiniやMicroなど現在に繋がるフラッシュメモリ媒体と進化していくが、これらは本体付属の記録媒体であって、ある程度の長期保存として溜め込むメディア感としては薄いように思っている。ただ、主に写真データなどを保存してそれで満足することができたりしていたので、そう違わないものかもしれない。

それよりも、それから大容量のメディアも登場してきて、これは正に媒体感に相当する。光磁気ディスクMOがそれで、128だったか230MBに始まった。それから650MBのCD-R/RW、DVD-R/RWにそれが移った。さらに大容量となると外付けHDD、NASへと進化し、今ではSSDということにもなるが、これらは形状が少し大きく、媒体感という感じではなくなっても来ている。USBメモリは、可搬媒体というイメージがある意味ではSDカードなどと同じでもあり、いやそれより規格的な形状ではないので、これらは媒体感というのに当たらないように感じているのである。

USBメモリ

USBメモリは、最初に購入したのは2002年頃で、USB1.1しか対応していない容量256MBのもの、BaffaloのRUF-Cシリーズ、ClipDriveというものであった。まだこの頃はその容量は高価で1万円以上の価格、デスクトップPCでも使いやすいように延長ケーブルも付属していたように思う。
以来、容量が増えていくのに合わせ、よく購入する製品も2GB、4GB、8GB、16GB、32GBと増えていき、製品としてはもっと多い容量のものもあるが、そんなに大きなデータとなればSSDなどの領域となるので、自分は16か32の容量のものを選んでいる。この容量だと、価格も今はそんなに高くなくなっている。規格としても、USB2.0から3.0以上対応のものへと主流が移っているが、今は3.0以上対応であれば、それなりに高速であるので3.1、3.2対応などはあまり気にしていない。

当初からUSBメモリはSDカードやその他の記録媒体とは違って、機器の一種であるという認識であった。USBのコネクタに挿して、それだけで読み書きができるので、HDDなどと一緒であるという感覚である。
記録媒体は、規格にあった形状をしていて、自分は元からそういう同じ形状の媒体を集めるのは好きだったが、USBメモリはそれぞれ異なる形状であるので、何だかそういう感覚は無かった。ただし、気付けば各容量のもの、見かけたメーカーのもの、要は記憶領域は多くあっても困らないし、そもそもUSBメモリも何個有っても置き場所に困るようなこともないので、ずいぶん幾つも集めてしまっていて、少しは使ってデータのバックアップだとか、NECのルータに取り付けて簡易NASとして使ってみたりもしたが、結局は可搬媒体としての位置付けで、必要あるとき以外はデータは保存せずに、ただたくさん溜まった状態で保管している結果になっている。

USB1.1の当時の物はさすがに転送速度が遅くて実際の使い物にはならず、USB2.0対応の製品でWindowsのReadyBoostでメモリ拡張に使えるなど何とか実用的なものになってきたが、それでもHDDへ保存するのに比べたらずっと遅く、USB3.0対応の製品になってやっと、満足のいく使い方ができるようになったと感じている。
最近では、同じ形状のUSBメモリ型SSDも出てきていて、容量を保存するとか高速な動作を求めるならそのほうがずっと良い面もあり、USBメモリと使い分けつつどちらも使っている。

USBメモリはデータの可搬媒体として使うのが一般的だが、そういう持ち出しデータが一つ二つのファイルであればそんなに何GBにも及ぶということは、実はそんなにない。
容量は基本的に持て余すので、そうなるとUSBメモリは他に活用方法はないものかと思い時々調べるのだが、中々、そういう方式には行き着かない。
実際に様々な利用場面はあるのだが、もっとデータ可搬に特化した使い方というか、そういうのが中々、見つからない。

脱ローマ字入力

ローマ字入力は、アルファベットのキーだけで仮名文字を入力できるようにした画期的な方法である。根底にはローマ字の法則がある。日本語の音韻は基本的に五つの母音で成り立っていて、それを全て行と段に整理できるので、アルファベットを記号的に用いて組み合わせ打鍵することにより全てのかな文字を入力するという方法である。
体系的に整理できることやアルファベットのキーが3段に収まっていることなどにより、効率よくキーボードの打鍵を習得できるなどの利点があるが、一つの仮名文字につき2打鍵を必要とするので、打鍵するキーが多い分入力速度に限界があるなどとも言われている。

JISかな入力は確かに1音1打鍵だが、キー数が多く4段を使うので、ブラインドタッチも中々習得しづらく、またそれだけ手の動きも大きくなるので疲労もしやすい。
第三の方式として親指シフト、Nicola配列や新JISなどがあって、これはローマ字入力やかな入力の欠点を克服できる面があるが、特殊なキーボードが必要だったり、実装するのに手間がかかったりすると思われるので、よほど思い入れが無い限りは中々移行も難しい。

完全に、どれを取っても最良という入力方式の実現は難しいが、ローマ字入力あるいは行段の体系的な整理による習得のし易さと、もう一つは一定の定型の綴りに定義を割り当てることで全体として打鍵数を減らすということを考えると、二重母音や撥音節に定義を割り当てる、拡張入力などと称してその多くの定型をサポートしたような方式が、丁度良く効率的であると思っている。SKY配列の端を発するのかもしれないが、そのような拡張入力を持つ入力方式を使えば、もっと効率よく打鍵ができるのだと思う。

ローマ字入力より効率よく、しかも移行がし易い方式をと探して、まず自分が使うようになったのがAZIKであった。普通のローマ字をほぼそのままに、拡張定義の割り当てで、打鍵数が少なくなり、より高速に入力することが出来るようになった。
また、使い慣れたATOKで実装できる方法があったというのが、この方式を使うようになる決め手になった。キーボードの配列変更の仕組みを用いなくても、ATOKの定義ファイルを切り替えるだけで、実装できるということである。

さらに、Dvorak配列をベースにすると、偶然か必然か五つの母音が左手ホームに並んでいる。正にローマ字入力のための配列ではないかと思えるほど都合が良いこの配列をベースに、ACTやその他の入力方式があって、さらに母音が綺麗に並んでいると定義のルール化もわかりやすいために、拡張の定義も作りやすく、そういう配列が自分の中では行き着く先だった。
これも、元を辿ればSKY配列が起源なのかもしれない。自分もかつてはSKY配列を使ってみたいと思ったが、当時は実装する方法が難しく、そう簡単に使える、実用出来るようなものではなかった。
Dvorak系の入力方式に関しても、基本的にそれは同じだったが、ATOKで実装する方法もほかには無かったので自分で他配列を参考にしつつある程度定義をATOK向けに作って始めたのがAOURである。

Dvorakベースでありつつ、ATOKの制約でQWERTYと共通しなければならない部分も少しあり、完全に効率が良い方式ではないと思うが、それでも普通のローマ字入力よりはずっと打鍵数は少なく、快適になり、比較すると高速に打鍵できるようになる。疲労も少なくなる。
自分はこの方式で現時点15年以上、やってきていて、もう普通のローマ字入力には戻れないほどになっている。
静音・濁音などの単音単体で見れば、子音+母音というスタイルはローマ字入力と変わらないが、二重母音になる形や撥音が続く、拗音や促音が続く形などの定型に割り当てた定義を使うのがとにかく便利で、これが打鍵数の減少、高速入力を齎し、快適さの根源になっていると思われる。
「商業高校」は、ローマ字では「syougyoukoukou」の14打鍵となるが、AOURでは「bouoiwiw」の8打鍵なのである。こういう綴りの語においては、かな入力よりも打鍵数が少ない。

NextCloud 28.0.4

NextCloudをこのXSERVERで使っているが、時々アップデートの通知が来るので、それに基づいて更新を行っている。更新の度に幾つか作業、エラー修正的なことが必要になるのであるが、だいたいそれもどこをどうしたら良いのかということが安定してきて、毎回同じ作業で更新が無事に終了している。
今回も、28.0.4へのアップデートで、500エラーを2度ほど修正しつつ、問題なく更新が完了した。

秀丸9.32

メインのテキストエディタはずっとWZなのであるが、秀丸も使いやすいのでインストールしてあって、いつでも代替できるように設定もしてあり、常に最新に更新している。
今回は9.32がリリースされたので、上書きでそれにアップデートを行った。

コーディング作業の分野では、海外由来のオープンソース的なエディタを使う人が増え、今でも秀丸を使うという人は以前に比べては少なくなっているような気がするが、自分の用途は主にこのような文章書きであって、その場合はきちんと国産のエディタでなければ満足に使いこなすことが出来ない。
もちろん国産のテキストエディタは他にも多数あるが、ある程度高機能で縦書き表示も出来て、文章書きのことをちゃんと考慮して機能を付加しているテキストエディタというのは、そう多くない。

秀丸くらいの老舗エディタになってくるとインターフェースなど全て洗煉されていてそれが使いやすい。
そうして書きためているうちに、9.33がリリースされて、今はそういう環境になっている。

やはりWZか

既に老舗のエディタの領域に入っているということでは、1995年にVer.1がリリースされたこのWZにおいても同様である。秀丸はもう少し以前からWindowsでは一般的な、人気のテキストエディタとなっていた。
自分としてはどちらも使いやすいのであるが、使い慣れているという点では実はWZのほうであるので、普通の文章書きの作業はだいたいこれで行っている。

スマホ1年

ガラケーからスマホに移行して、まだ1年足らずである。つまり、十分に後発組になってしまっている。
普通の携帯で十分連絡には過不足ないと思っていたのと、スマホにすることでそういう従来の機能で削がれる部分があると思ったこともあり、そんなに外出先でネットを確認しなければならないことなどないとも考えて、ずっと普通のケータイ、ガラケーを使っていたのであるが、それでもさすがに色々それではサービスで差別されたりするようになってきたので、移行した。

スマホに変えて、便利なのはカメラだろうか。普通のデジカメ以上の機能を備えたカメラがあって、そもそもデジカメで撮ったものは最終的にGoogleフォトにアップロードすることを考えれば、撮ってそこから直接クラウドに保存できるというは、圧倒的に便利である。カメラで撮った写真の画質も自分としては十分で、これで良い。動画も撮影できる。

どこでもネットが使えるという点はもちろんある。そのためという目的は確かにあった。もちろん使うこともある。使えば便利ではある。しかしながら、SNSもそんなに、頻度高く使うようなわけでもない。
何より、文字入力が思うように高速には出来ないので、長文入力が難しく、その辺がもどかしい。

文字書きと文字入力

子供の頃は、普通に鉛筆に始まり、周りがシャープペンシルを使い始めると自分もそれを使うようになり、鉛筆はほとんど使わなくなった。学校でも、そんなに煩く鉛筆を使えとは言われなかったので、書くのは基本的にシャープペンシルばかりなり、それをずっと、だいたい高校生くらいまではそればからを使った。
ただ、祖父が日記を書くときに青いインクのParkerのボールペンを使っていたせいか、あるいは万年筆のブルーブラック(当時はその呼び名を知らなかったが)のインクのインクを昔見た懐かしい印象があったのか、自分も青いインクのボールペンへの拘りはあって、それもよく使った。
学生時代には、初めて易い万年筆、SAILORエースなんかを買って、まだ使い方自体をよく知らないままに、これが高級な書き心地、高級な筆記なのだと思って、このような駄文を書いたりするのに使っていたこともある。

だいたい高校の終わり頃くらいからは、デジタルな筆記、すなわちワープロによる筆記という方法も知り、これは筆記の革命になると思って、学生時代に入って自分もワープロを購入してからは、何か書き物はほとんどそのワープロ、すなわちキーボードの打鍵による筆記に移って、アナログな筆記具は逆にほとんど使わなくなってしまった。何でもワープロで、デジタルな筆記で済むようになると思っていたのである。

そういう時期が何年かしばらくあったものの、何がきっかけだったか、再びアナログな文具、筆記具に興味を持ち、少し高価なボールペンから入って、鉛筆各種、そしてやがけ結局は万年筆の趣味へと至った。舶来の製品もだいたい有名なブランドを試しつつ、最終的にはやはり国産のPILOTの万年筆が一番品質も良く使いやすいという主に至ってからは、PILOTの様々な万年筆を使い渡ってきている。

だからと言って、デジタルな文字入力は時代的にも必須ではあって、それについてはワープロソフトやテキストエディタへの拘りもありつつ、ハードウエアとしてのキーボードにも興味を持ち、様々な製品、メカニカルなキーボードを試しながら、これも国産のHHKBやRealforceのキーボードが一番良いという結論に至っている。
入力はキーボード製品だけに足らず、入力方式も通常のローマ字入力から独自で考案した方式へと転換し、これで本当に快適に文字入力ができるようになった。

アナログの筆記具の良さという点では、そういうデジタル中心ながらもそれに傾倒することなく、万年筆もよく使っているし、デジタルの入力ではそういう独自の方式での入力で、おそらくこの体系で一通り、自分の文字書きとデジタルな文字入力方式はまとまりを得ているのではないかと思っているのである。

OpenTTDと5月

OpenTTD 14が4月初めにリリースされ、更に中旬頃には14.1もリリースされて、4096×4096サイズのマップでずっとそれで遊んでいる。
そういう状況もあり、普通にこうして書いたようなテキストをここに載せる機会を逸していた。テキスト自体は、仕事で文章を書くことも少なくないし、OpenTTDのレポート的に少し書いているので、キーボードに触れない日はないのであるが、このようなテキストを連続して書くという機会は、最近はほとんど設けていなかった。

今はスマホが全盛で、自分もついに1年ほど前から後発でそれを使うようになったが、何でもスマホというのではなく、Webでも何でも基本はやはりPCである。出先でもそれがしたい場合にスマホでそれができないか、専用のアプリがあるのかどうかと調べて、それを使ってみるような感じではある。
ただ、カメラは便利で、Googleフォトと連携してすぐクラウドに保存できて、それをPCなどとも共有できるしそれがバックアップにもなるのであるから、これは従来のデジカメとは大違いである。Xperiaは画質もカメラアプリの性能も十分であるので、一眼レフのほうでさえほとんど今は使わなくなってしまったりもしている。

とは言え、やはり基本はPCであって、それもWebのクラウドサービスももちろん使うが基本はPC内におけるアプリ、要はソフトウエアを使うのが基本で、この原稿もWZ EDITORを使っていたり、文書を作成するには一太郎を使うし、そういう従来からの、30年くらい前からの基本の使い方が、やはり基本なのである。

従って、文字入力の基本もやはりキーボードの打鍵によるものであって、そういう使い方をしているからか、スマホのフリック入力、フラワータッチもそんなに得意ではない。思うように高速に入力はできないので、長文入力は苦手意識がある。だから、同じことがPCでできるなら、基本的にはPCで、キーボードで作業をするのである。
キーボードはもう自然に使っているが、やはりRealforceの打鍵感が一番気に入って、ずっともう長く使っていることもあって、キーボードによる打鍵の標準、自分としての基準がこれになってしまっている。他のキーボードが使えないという訳ではないが、一番自分に合っているのがこれだという感覚になっているので、当面、自分で選べる場合はこのキーボード以外は使う、選ぶつもりはない。とは言っても、会社のPCなどでは勝手にそういうキーボードを交換するのも限界があるし、会社に置いて帰るのにRealforceクラスのキーボードだと少々不安もあるので、それは普通のキーボードで我慢はしている。

ブログ、WordPressには、検索ができる仕組みが備わっているので、こうして書いたものをアップして公開しておけば、後でこの頃に何を書いたかということが検索できて調べられるのもまた便利であるが、書いたテキストを保存しておいて、テキストエディタのGREPで検索して、いつどこで書いたかという結果を得るというのもまた、懐かしく、興味深い。